カボット(USS Cabot, CV/CVL-28)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の7番艦。艦名はジョン・カボットに因む。その名を持つ艦としては二隻目。
艦歴
カボットはニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で軽巡洋艦ウィルミントン(USS Wilmington, CL-79)として起工する。1942年6月2日に CV-28 に艦種変更、6月23日にカボットへ艦名変更する。1943年4月4日にA・C・リード夫人によって命名、進水し、1943年7月15日に CVL-28 へ再変更、1943年7月24日にM・F・シューフェル艦長の指揮下就役する。
カボットはロードアイランド州クォンセット・ポイントを1943年11月8日に出港、真珠湾に向かい12月2日に到着する。1944年1月15日にマジュロ攻撃のため第58空母機動部隊に加わり、後に数々の栄誉を受けることとなる軍歴が開始する。2月4日から3月4日までロイ-ナムル 、トラック島への艦載機による攻撃でマーシャル諸島攻略の支援を行った。
カボットは短期の修理で真珠湾へ戻ったが、その後マジュロ攻撃から3月末までパラオ、ヤップ、ウルシー、ウォレアイへの攻撃を行う。ホーランディア攻撃の間4月22日から25日まで航空支援を行い、4日後にトラック、サタワンおよびポナペに攻撃を始めた。6月6日、マリアナ諸島攻略の前に再びマジュロを掃討し、19日、20日には「マリアナの射的遊び The Marianas Turkey Shoot.」と揶揄されたマリアナ沖海戦に参加している。カボットの第31航空団は硫黄島、パガン島、ロタ島、グアム、ヤップおよびウルシーの日本軍基地への攻撃を8月9日まで継続した。
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1944年9月のパラオ進攻前の攻撃で、ミンダナオ島、ヴィサヤ諸島およびルソンへの攻撃を行う。10月6日に第29航空団は第31航空団と交代し、カボットはウルシー泊地から沖縄攻撃のため出港、10月12日、13日には台湾を攻撃している。カボットは台湾で雷撃を受けた、巡洋艦キャンベラ(USS Canberra, CA-70)及びヒューストン(USS Houston, CL-81)の「第一不能部隊 Cripple Division 1」に加わり、カロリン諸島における安全を確保した。その後ヴィサヤ諸島への攻撃を継続し、10月25日、26日にはレイテ沖海戦に参加した。
カボットは陸上への攻撃を誘導、絶望的な特攻攻撃をかわしながらルソンからの偵察任務を継続した。11月25日、日本軍との交戦時に一機の特攻機が激突、左舷の20mm機銃台座を破壊し、40mm機銃が使用不能となった。多数の破片が四散し、62名が死傷した。しかしながら乗組員によるダメージ・コントロールは速やかに行われた。カボットは任務に支障がないことを確認し、応急修理の後作戦行動を継続した。11月28日に本格的な修理のためウルシー泊地に到着する。
カボットは1944年12月11日に任務に復帰し、ルソン、台湾、インドシナ、香港および南西諸島への攻撃を行う。1945年2月10日から3月1日までカボットの艦載機は硫黄島上陸に対する抵抗を抑えるため、本州及び小笠原諸島に対する攻撃を行っている。3月中行われた沖縄及び九州に対する継続的な攻撃は、後の日本本土侵攻作戦の準備のためのものであった。これらの集中、継続的な作戦の後、カボットはオーバーホールのため6月にサンフランシスコに向かった。
真珠湾での再訓練の後、カボットは第32航空団を乗艦させエニウェトクに向かう途中8月1日にウェーキ島への攻撃を行った。その後エニウェトクで終戦まで訓練任務に従事する。8月21日に第38.3任務部隊に加わり、黄海水域で9月から10月に上陸部隊の支援を行った。グアムで復員兵を乗艦させると、11月9日にサンディエゴに到着、その後東海岸へ向かう。カボットは1947年2月11日に予備役となりフィラデルフィアで保管された。
カボットは1948年10月27日に再就役し、海軍航空予備役兵訓練プログラムに割り当てられた。最初ペンサコラから、続いてクォンセット・ポイントから展開し、カリブ海へ巡航する。1952年1月9日から3月26日までヨーロッパ水域に展開。1955年1月21日に再び予備役となり、フィラデルフィア海軍基地の予備役艦隊入りした。1959年5月15日に航空機輸送艦(AVT-3)として艦種変更された。
不活性化が行われて12年が経過した1967年、カボットはスペインに貸与され、空母デダロとして就役した。1972年に貸与から売却に変更され、その後1989年8月にスペイン海軍から除籍されるとアメリカの民間団体に博物館への転換のため無償譲渡された。艦は1990年代の大半をニューオーリンズのドックに係留されたまま過ごした。艦を博物館にしようとした民間団体は負債を支払うことができず、艦は1999年9月10日に競売でUSマーシャル・サービスからサベ・マリーン・サルヴェージ社に売却された。船体の廃棄は2002年に完了した。現存するカボットの艦橋と小さな鉄片及びガラス片は、第二次世界大戦時に数百隻以上が建造された軽空母、護衛空母の僅かに残る遺物である。
カボットは第二次世界大戦での戦功により殊勲部隊章および9つの従軍星章を受章した。